シルクロードとドライフルーツの歴史|レーズンやナッツはなぜ旅人の携帯食になったのか

シルクロードとドライフルーツの歴史|レーズンやナッツはなぜ旅人の携帯食になったのか

標高約2,200メートル。春先まで夜霜が降りる中央アジアの山上都市から、炭化した一粒のぶどうが見つかりました。

遺跡の名は、現在のウズベキスタンにあるタシュブラク。西暦800年頃から1100年頃まで栄えた、シルクロード沿いの都市です。ぶどうに加え、くるみやピスタチオの殻、桃やアプリコットの種など、さまざまな果実と木の実の痕跡が残されていました。

遠い時代の食事は、史料や出土品を手がかりに少しずつ姿を現します。一粒のぶどうや古い市場の記録をたどると、レーズンやナッツがシルクロードを行き交っていた様子が見えてきます。

なぜドライフルーツやナッツは、長い旅に向いていたのでしょうか。

いくつもの道が連なるシルクロード

シルクロードは、東アジア、中央アジア、西アジア、さらにその先の地域を結ぶ、複数の交易路の集まりでした。

絹や宝石、香辛料のほか、穀物、果実、家畜、食文化、宗教や技術も、人々とともに移動しました。各地の商人や住民が品物を受け渡しながら、遠い土地へとつないでいったと考えられています。

交易路には、世界でも有数の高山地帯を越える道もありました。次の町まで何日もかかる場所では、食料の保存性や携帯性が旅を左右しました。

そこで役立ったのが、乾燥させた果実と、くるみ、アーモンド、ピスタチオなどの木の実でした。

SUNOMA
カシュガルのアパク・ホージャ墓(香妃墓)。カシュガルもシルクロードの交易都市でした。


標高2,200メートルで見つかった、一粒のぶどう

タシュブラクの遺跡では、ぶどうの種や軸に加え、形を保ったまま炭化したぶどう一粒が発見されています。くるみやピスタチオの殻も、同じ場所から出土しました。

この土地では、春先まで寒さが厳しいため、果樹は主に温暖な低地で育てられていました。果実やナッツは低地の集落やオアシスから運び込まれ、季節に応じて生のまま、あるいは乾燥品として食べられていたと考えられています。

一粒のぶどうと木の実の殻は、果実やナッツが山道を越え、シルクロードの高地にある町まで届いていたことを伝える痕跡です。

中央アジアのオアシスに広がる果樹園やぶどう畑は、住民の暮らしを支えるとともに、道を行く人々へ食料を供給していました。収穫された作物は商人や旅人によって次の町へ運ばれ、さらに遠い土地へと渡っていったのです。

レーズンやナッツは、なぜ旅の携帯食になったのか

大きな理由は、保存しやすく、軽く携えられることです。

生のぶどうは水分を多く含み、みずみずしい食感を楽しめる果実です。乾燥させると水分が抜け、100gの生ぶどうは約20〜25g、重さにして5分の1から4分の1程度のレーズンになります。甘みが凝縮され、手に取ってそのまま食べられる点も、長い移動に適していました。

くるみやピスタチオなどのナッツも、小さな実の中に豊かなコクを持つ食べ物です。殻に包まれた状態なら旅の荷に収めやすく、休憩時にも手軽に口にできます。

現代では、ドライフルーツの栄養や、レーズンにはどのような効果があるのかという点にも関心が集まっています。レーズンには炭水化物のほか、食物繊維、鉄、カリウムなどが含まれます。ナッツは脂質やたんぱく質、ミネラルなどを含む食品です。

当時の人々は、甘いレーズンが疲れたときにも口にしやすく、木の実が空腹を満たすことを、日々の経験から知っていたのでしょう。レーズンと木の実は、それぞれの持ち味で長い道のりを支える携帯食でした。

レーズンの甘みと酸味、ナッツの香ばしさと歯ごたえ。異なる味と食感があることも、単調になりやすい道中では小さな楽しみだったのかもしれません。

オアシスは、人と動物の補給所だった

シルクロードの旅は、オアシスからオアシスへと水や食料をつないでいくものでした。

その代表的なオアシスのひとつが、トルファンです。雨が少なく乾燥した盆地でありながら、天山山脈の雪解け水を地下水路のカレーズで引き込み、ぶどうをはじめとする作物が育てられてきました。

トルファンのカレーズは、農作物と人々の暮らしを支え、砂漠を通過する商人にも水を供給していました。

さらに、5世紀のトルファンの会計文書には、柔然の宮廷へ向かう焉耆(えんき)国王の一行のために、薪、ぶどう、ワイン、アルファルファなどを用意したという記載があります。

人のための果実や飲み物、火をおこす薪、馬などに与える飼料。当時の旅に必要だったものが具体的に並ぶ、補給品の一覧です。

トルファンでは、カレーズの水によってぶどうを育て、乾いた空気を果実の乾燥に利用してきました。また、生産地であると同時に、人と品物が往来する場所でもありました。この二つの条件が重なり、シルクロードのぶどう文化と深く結びついていったのです。

トルファンで暮らす人々の家屋 SUNOMA
トルファンにて。葡萄棚の下は砂漠とは思えない空間が広がっている。古代から変わらぬ暮らしの知恵がそこかしこに息づいている。

自然乾燥から、現代のグリーンレーズンへ

トルファンのぶどう乾燥法は、時代とともに変化してきました。

晋から唐の時代には、ぶどうを日光にさらす方法や、房を蔓に残したまま自然に乾燥させる方法が用いられていたと考えられています。

19世紀になると、風通しのよい乾燥小屋で陰干しし、ぶどうの緑色や香りを生かす技術が史料に現れます。

古代から続くトルファンのぶどう栽培に、後世の乾燥技術が加わり、現在のグリーンレーズンへとつながっていきました。

なぜグリーンレーズンは緑色を保てるのか。トルファンの気候と乾燥小屋の歴史については、後編で詳しく見ていきます。

旅の形が変わっても、受け継がれる携帯食

旅の手段は、ラクダの隊列から列車や飛行機へと姿を変えました。それでも、移動中の食べ物に求めるものは、昔とどこか重なります。

小さく携えられ、袋を開けてすぐに食べられること。仕事や運動の合間に少しずつ口にできること。コーヒーや紅茶、夜のワインにも合わせられること。

出張の鞄に、列車での移動に、ハイキングやスポーツの休憩時間に。レーズンやナッツは、今もさまざまな場面で頼りになる食べ物です。

高原くるみとグリーンレーズンを組み合わせたSUNOMAの「シルクロード実っくす」は、二つの素材をパッケージ内部の仕切りで別々に収め、それぞれの食感と香りを保ちやすくしています。遠い道を渡ってきた果実と木の実に思いを巡らせながら、日々のひと休みに味わいたいひと品です。

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