ものがたり
SunoMarche|story
はじまりはシルクロード実っくす
SUNOMA(素のマルシェ)最初の商品となった「シルクロード実っくす」は、高原くるみとグリーンレーズンのミックスナッツです。塩や砂糖、オイルを加えず、香料や着色料などの添加物も使わずに作りました。
※「高原くるみ」は、のちに私たちが名付けた名称です。中国では「山胡桃(山核桃)」と呼ばれていますが、この物語では、当時の会話などを除き「高原くるみ」と表記します。
長年にわたる中国との関わりの中で、さまざまなご縁を通じて出会った、ふたつの素材。それらを組み合わせようと思いついたのは、ある偶然の出来事がきっかけでした。
この商品の開発を手がけたのは、SUNOMAを運営するアジアんグル株式会社の代表、野原です。ここからは私自身の体験を振り返りながら、シルクロード実っくすが生まれるまでの道のりを綴ります。
初めて訪れた中国
シルクロードを目指して
話は今から30年以上前に遡る。
1991年の早春、私はひとり大阪南港から鑑真号という客船で上海に渡った。旅の目的地は中国の西域、シルクロードのトルファン。時間に余裕があれば、カシュガルかホータンまで足を伸ばしたいと考えていた。
シルクロードは、幼少期から憧れていた土地だった。当時の私は、お金はなかったが時間はあった。今のようにインターネットが普及していなかったので、バックパッカー向けの雑誌やムック本を読み漁り、あちこちに電話をかけて情報をかき集めた。
やがて鑑真号を使えば、上海往復でも3万円でおつりがでることが分かった。20万円あればなんとかなるだろうと、旅程を考えた。まだ見ぬ土地に胸を躍らせながらアルバイトに励み、出発の2週間前にようやく旅費の目途がついた。

鑑真号に乗船して2日目の夜。雑魚寝部屋で知り合った年配の中国人に、
「新疆は危ないよ。核実験が行われているから。私なら行かないな」
と言われ、すっかり怖気づいてしまった。
そんな危険を冒してまで行く必要はあるのか。デマかもしれない。やっぱり無理かな。中国語も全然話せないし…。
両親や、背中を押してくれた先輩たちの顔を思い浮かべ、その夜は何度も寝返りを打った。思い描いていた砂漠のオアシスが、遠くかすんでいくようだった。
旅程は3週間あったが、上陸した上海で数日を過ごし、蘇州を経て洛陽へ向かった。洛陽では風邪をひいたり、龍門石窟に夢中になって日参したりしているうちに、あれよあれよと時間が過ぎた。結局、シルクロードの入口にあたる西安にも行けないまま上海に戻り、そのまま帰国した。
世間知らずの田舎の大学生だった私には、鮮烈なカルチャーショックと青くさい挫折が、しこりのように記憶に残った。しかし、この旅をきっかけに、私はその後30年以上、中国と関わり続けることになった。

遥かなるトルファンへ
グリーンレーズンとの出会い
初めて中国を訪れてから10年後にあたる2001年の夏。ようやく新疆へ行く機会を得た。午前中の便で成田から北京へ向かい、ウルムチ行きの国内線に乗り換え、深夜にウルムチ空港に降り立った。成田北京間より、北京からウルムチまでの方が飛行距離は長い。翌日の昼過ぎ、トルファンに到着した。
長年思い焦がれていた土地だけに感慨深く、あちこちを訪ねながら、一日一日をかみしめるように過ごした。
初めてグリーンレーズンを口にしたのは、トルファンを訪れて2日目だったと思う。
運転手兼ガイドとして雇った現地の青年が、家で作ったグリーンレーズンを食べさせてくれた。透き通るような緑色で、エメラルドのように美しかった。
そのおいしかったこと。
すっきりとした甘さと程よい酸味、爽やかな風味。それまで苦手だったレーズンへの印象が、がらりと変わった。
夏のトルファンはとても暑い。歩くだけでも大量に汗をかき、体力を消耗する。そんななか、この甘いドライフルーツは、疲れた私を何度も元気づけてくれた。
こんなにきれいでおいしいドライフルーツを、日本でも食べてもらえればいいのに。そうすれば、中国に対する偏見も和らぐのではないか。旅の途中で、何度かそう考えた。
当時の日本では、グリーンレーズンはまだほとんど知られておらず、販売している店も限られていた。
帰国後、世界は急速に混沌とし、不穏な空気が広がっていった。
妻は息子の出産を控え、ちょうど臨月を迎えていた。
私はトルファンでの思い出をかき消すように仕事に集中し、日常に埋没していった。
トルファン
グリーンレーズンのふるさと
中国北西部、天山山脈の南に位置するトルファン。海面より低い土地を含む盆地に広がるオアシス都市です。夏の厳しい暑さと豊かな日照で知られ、『西遊記』の孫悟空ゆかりの火焔山が連なります。
シルクロードの要衝として栄え、今も交河故城や高昌故城が往時を伝えています。土壁の遺構には、ラクダの隊商が行き交った遠い日の面影が重なります。
農業を支えてきたのは、地下水を畑へ導く「カレーズ」。葡萄溝にはぶどう棚が広がります。収穫した実を乾燥小屋「陰房」に吊るし、乾いた風で干す。グリーンレーズンは、この土地の気候と人々の知恵から生まれました。
中国の存在感が増していく
悶々とする日々
トルファンの旅から数年の間に、世界ではさまざまな出来事が起こり、日本と中国を取り巻く情勢も大きく変化した。
日本経済は相変わらず停滞していたが、中国の存在感は日増しに強くなり、新聞やニュースに中国の話題が出ない日はなくなった。同時に、日本と中国の間には微妙な空気が流れているように感じていた。
当時はウェブデザインの仕事が好調で、中国市場の可能性に目を向けたクライアントから、
「商品を中国へ輸出したい」
「中国人観光客を呼び込みたい」
といった声を頻繁に耳にするようになった。最初に中国の地を踏んで以来、いつか中国で仕事をしたい、中国と何らかの関わりを持ちながら生きていくのだろう、と漠然と考えていた。しかし、あれからすでに15年が過ぎようとしていた。中国語を勉強してはいたものの、なかなか上達せず、次の一歩を踏み出せないことに焦りを感じていた。

杭州に住み始めた
高原くるみと出会うキッカケ
2009年の夏、中国語を学ぶため、単身で浙江省の杭州という街に移り住んだ。
午前中は大学で中国語を勉強し、午後はマンションに戻って仕事をする。夜半から予習と復習に取りかかり、宿題を終える頃には、しらじらと夜が明けていることもあった。
老師(先生)はとても厳しく、宿題をしてこなければ、こっぴどく叱られる。今もあまり思い出したくないほど、ハードでつらい日々だった。それでも、老師に中国語の基礎をみっちり教わったことが、その後の上達につながった。今では、その厳しい指導をして頂いた老師に感謝している。
当初は1年で帰国する予定だったが、半年を過ぎた頃、知り合いの中国人に紹介されたビルの一室に事務所を開設した。
20㎡にも満たない小さな事務所だったが、そこを拠点に活動した数年間に多くの出会いがあった。今も、その人間関係を土台に中国での仕事を続けている。縁とは本当に不思議で、ありがたいものだと思う。

連休や仕事の都合で、数か月に一度は家族のいる日本に帰国していたが、2011年、杭州に移り住んでから二度目の春節は、中国で過ごすことにした。
高原くるみとの出会いは、その頃である。
春節が近づくと、故郷へ帰る準備やその高揚感で、街全体が落ち着かなくなる。その一方、どこか穏やかで華やいだ気分にもなる。私の幼い頃の日本の年末の雰囲気に似ている。そんな気配が私にも伝わったのか、私自身も忙しく、わくわくしながら春節を迎えようとしていた。
明日からいよいよ春節休みという日の夜。スーパーで連休中の食料を買い込んでいると、杭州ローカルの友人から電話が入った。
「大晦日ひとりなら、我が家においでよ」
家族団欒のお祝いの場に、他人の、しかも日本人の私がお邪魔してよいものだろうか。そう躊躇する間もなく、
「大丈夫だよ。うちで年を越そう」
と、電話が切れた直後に住所と最寄りのバス停までの行き方が書かれたQQ(チャット)が届いた。

高原くるみとの出会い
初めて中国で迎えた春節
大晦日の街はいつもより人影がまばらで、交通量も少なかった。時折、花火や爆竹の音が聞こえ、大晦日であることを否が応でも実感する。
友人の家に着くと、彼の両親と親戚らしき人が何人か集まり、和やかにおしゃべりをしていた。
つたない中国語で自己紹介を済ませ、部屋の隅に置かれたソファーに座っていると、ひとりのおばあちゃんが大きな声で、テーブルの果物や乾物を食べるように勧めてくれた。
楽しみにしていた大晦日の夕食を前に、あまりお腹を満たしたくなかった。しかし、珍しい果物や見たことのないお茶請けへの興味には抗えず、「これは何だろう?」とつぶやきながら、次々に手を伸ばしはじめた。

友人は普通話(中国語の共通語)ではなく、杭州語で親戚とおしゃべりをしている。何を話しているのか、さっぱり分からない。親類同士では、やはり杭州語の方が話も弾むのだろう。
言葉が分からない気まずさも手伝い、私の食い気エンジンに火がついてしまった。手元の小皿が果物の皮やお菓子の袋でいっぱいになった頃、
「これ食べたことある?」
と、友人が茶色いスナックの小袋をつまんでよこした。
聞いたことのない食べ物の名前だったが、それほど気にせず袋を開けた。香ばしくてほのかに甘い香りが漂う。中に入っていたのは、コーヒー豆ほどの大きさの、こげ茶色の粒だった。ひと粒を口に入れた瞬間、
「あれ? 何これ?! うまい!」
と叫んでいた。それを聞いた友人家族は、うれしそうに笑い、また何やら話している。
カリカリ、サクサクとした食感が心地よく、噛むほどに深いコクが広がる。ナッツなのだろうと思ったが、それまで食べたどのナッツとも違っていた。砂糖でコーティングされ、塩味もついた、しっかりとした味付けだった。
もう一度、友人に尋ねると、
「山胡桃だよ」
と教えてくれた。
こんなにおいしいナッツがあるのか。
杭州に住み始めて1年以上が過ぎ、地元の人たちが日常的に食べるものは、おおむね知っているつもりだった。それなのに、ナッツのような身近な食べ物にも、まだ知らない味がある。そのことに驚いた。
中国にはこんなにおいしい食べ物があるんだよ、と日本の友人や知人に伝えたかった。
食品業界とは縁遠い仕事をしていた私は、
「どこかの商社か、貿易に長けた日本人が、すでに日本へ輸出しているのだろう」
そうでなければ、
「近いうちに、誰かが日本に紹介してくれたらいいのに」
と考えながら、杭州の銘茶、龍井茶をすすった。
杭州・天目山
高原くるみのふるさと
上海の南西約180キロに位置する杭州は浙江省の省都。南宋の都として栄え、マルコ・ポーロの旅行記にも描かれた街です。西湖のほとりには庭園や寺院が点在し、古都の風情が息づいています。
古くから「絹の都」として知られ、その絹は海のシルクロードを通じて日本へも運ばれました。今も絹産業が続く一方、アリババなどのIT企業が集まる中国有数の経済都市でもあります。
杭州の西、臨安に広がる天目山系が、高原くるみのふるさと。中国で「山核桃」と呼ばれる木の実は、この地で500年以上にわたり栽培され、人々に親しまれてきました。
食品事業がスタート
高原くるみの商品化に向けて
2014年、杭州の事務所を畳んで帰国した。
日中関係の悪化を機に、中国関連の仕事が激減した。しばらくは人目を避けるように、ひっそりと現地で活動していたが、ついに仕事がゼロになった。
観光インバウンドのプロモーション事業が軌道に乗り、主要事業になりつつあっただけに、今思い出しても惜しく感じる。
その後、日本で改めてメディア事業を立て直し、さらに数年後、食品事業を始めることにした。
春節で初めて高原くるみを食べてから、すでに数年が経っていた。しかし、日本では一向に話題にならない。調べてみても、輸入されたり、販売されたりしている気配がなかった。
ならば、自社で日本に輸入し、販売してみよう。
そう考え、高原くるみの品種や栽培、生産工程をインターネットで調べ始めた。しかし、日本語のサイトにはほとんど情報がなく、中国の検索サイト、百度を使って調査を進めた。
さらに、かつて一緒に働いていた現地スタッフに、高原くるみをナッツ菓子に加工する製造委託先を探すよう依頼した。
こんなおいしいナッツは、日本ではまだ誰も知らないだろうな。
食べたら、みんなびっくりするぞ。
内心、ほくそ笑んでいた。
きっとうまくいく。
そのときは、後にさまざまな難題や障壁に直面するとは露ほども思わず、現地スタッフと商品化に向けて奔走していた。

製造委託先を探し始める
出鼻をくじかれた初日
最初に訪問したのは、著名ブランドを手がけるナッツの専門メーカーだった。杭州のスーパーでも何度か目にしていたので馴染みはある。
部長クラスの管理職と工場長、営業担当の3人に迎えていただいた。
「日本ではまだほとんど知られていない山胡桃を、輸入して販売したいのです」
こう切り出すと、先方は乗り気になって耳を傾けてくれた。
「山胡桃は中国では高級ナッツとして広く知られています。ぜひ日本でも販売していただきたい」
面談はテンポよく、友好的に始まった。その後、工場を案内していただき、契約農家の数や製造能力について、ひと通り説明を受けた。
ところが、具体的な話に移ろうとしたところで、部長が疑問を口にした。
「しかし、日本で全く知られていないナッツが、売れるのでしょうか?」
そこから、雲行きが怪しくなった。
「日本では、塩や砂糖などで味付けをしていない、プレーンなナッツにも需要があります。砂糖でコーティングしたり、塩味をつけたりせず、添加物も使わない商品を作りたいと考えています」
そう伝えると、3人そろって顔を曇らせた。
「味をつけない山胡桃? それではおいしくない」
「売れないと思います」
「素焼きの山胡桃はありますが、ほとんど売れていませんよ」
否定的な言葉がひと通り出た後、部長が尋ねた。
「日本での売り先は決まっていますよね? 最初はどれくらい作ればよいですか?」
この質問への回答は、あらかじめ用意していた。
弊社の主要事業は、メディアの企画と制作である。今回の高原くるみが、食品事業で初めての商品になる。食品業界には初参入で、現段階では顧客もいない。日本では知られていない食品なので、どれくらい売れるかも分からない。まずはテスト販売として、小ロットで始めたい。
正直すぎる内情の告白だった。
こんなことを事前に伝えれば、ほとんどの会社は取りあってくれないだろう。それでも、後々条件が噛み合わず、話が白紙に戻ることは避けたかった。互いの時間や労力を無駄にしないためにも、必要なことは早い段階で伝えようと考えていた。
やはり、事情を説明すると、先方の態度はあからさまに変わり、会議室に気まずい空気が流れた。同行した現地スタッフもそれを察し、私の顔をじっと見つめている。これ以上、長居する理由はなかった。
その日の午後には、さらに2社とのアポイントを取っていた。
気持ちを立て直して訪ねたものの、2社目でもほぼ同じ展開となり、3社目に至っては担当者が不在で、商談すらできなかった。

門前払いの日々
残された訪問先はあと数社
その後、20社以上に連絡を取ったが、商談に至る前に条件が合わず、まともに取り次いでもらえないこともあった。新規の仕事は受けない、日本との取引はしない、と断られたり、返答そのものがなかったりした。
こうした対応は海外企業への問い合わせでは珍しくないので、一つひとつは気に留めなかった。しかし、広い中国でも、私たちの条件に合う企業は限られている。製造委託先の候補が尽きることが、現実味を帯びてきたのだ。
調査を進めるうちに、食品を海外へ輸出するには、製造企業が所定の登録手続きを行い、衛生管理などの要件を満たす必要があることも分かった。高原くるみを加工しているメーカーなら、どこにでも頼めるわけではなかった。
ほかの企業を通じて輸出する方法もあると聞いたが、製造や輸出の体制が曖昧なまま取引を進めたくはなかった。長く続ける事業にするために、誰が作り、どのような経路で日本に届くのかを把握しておきたかった。
日本に帰国して数日後、候補先のメーカーを探していた現地スタッフから連絡があった。
日本向けの輸出に対応でき、訪問の相談ができる高原くるみのメーカーは、あと数社しかないという。
次の出張で製造委託先が見つからなければ、この事業はやめよう。
そのとき、そう腹を決めた。

製造委託先が見つかった
最後の訪問先で
原料となる高原くるみは中国産である。ならば、原料の調達と加工は中国のメーカーにお願いしたかった。
最後に残った候補の2社は、どちらも杭州の市街地から車で1時間半ほどの、臨安の龍岡という山間の町にあった。龍岡には、高原くるみをはじめ、ナッツの加工を手がける企業が集まっている。
結果を先に言えば、その日2社目に訪ねた、最後のメーカーとの話がまとまった。
「日本向けの商品を作ってもよい。ただし、味付けをしなければ売れないだろうから、どんな商品にするか、意見を出し合って開発しましょう」
無添加という希望には懐疑的だったが、一緒に開発を進める道は開けた。
この会社とも話がまとまらなければ、事業を断念するつもりだった。文字どおり、最後の訪問先で得た機会だった。
数週間後、そのメーカーから、素焼きの高原くるみのサンプルが東京の事務所に届いた。
弊社の資金や事業規模、食品業界との接点がほとんどないことは、すべて伝えていた。これまで何社か、その場ではポジティブな返事を頂いたものの、帰国後に連絡が途絶えることがあった。今回の前向きな返事も、100パーセント信じることができなかった。
届いたサンプルを見て、ようやく、本当に開発が始まったことを実感した。
調査を始めてから、すでに1年が過ぎていた。
偶然の発見
ふたつの素材が出会った日
届いた素焼きの高原くるみは、中国で食べたものとは、ずいぶん印象が違っていた。
噛めばくるみのコクは感じられるものの、期待していた香ばしさや、カリカリ、サクサクとした食感には届いていなかった。このまま商品にするには、まだ物足りない。
何か味を加えれば、持ち味が引き立つかもしれない。
そう考え、さまざまな調味料をつけては食べることを続けた。
塩、砂糖、醤油、胡椒、ソース、味噌、酢、マヨネーズ、しょうが、にんにく、マスタード、ポン酢、焼肉のたれ……。
どれも、調味料の味がするナッツの域を出なかった。
チョコレートは比較的おいしいと感じたが、それはチョコレートがおいしいだけだった。ならば、砂糖をまぶしてから塩味を加えてはどうか。
そういえば、砂糖でコーティングすると表面が硬くなり、味がつけやすいと聞いていた。しかし、それでは中国で食べた、甘さの効いた高原くるみに戻ってしまう。
日本で日常的に食べてもらうには、この味付けは濃すぎるように思えた。最初の数粒は、その強い味が印象に残り、おいしいと感じても、食べ続けるうちに飽きたり、くどく感じたりするのではないか。
なかなか糸口が見つからなかった。

その日も、素焼きの高原くるみを漫然と試食していた。
胃が重く、味の違いも分かりにくくなり、気持ちまで沈んでいた。
気分転換にお茶でも淹れようと、給湯室へ向かった。ふと棚に目をやると、数週間前に上野で買ったグリーンレーズンが置いてあることに気づいた。
疲れて甘いものが欲しかったのか、ただ口が寂しかったのか。
ケトルの電源を入れ、何気なくレーズンを数粒、口に入れた。
驚いた。
つい先ほど食べた高原くるみの風味と混じり合い、それまで感じたことのない、フルーティーな香りが口の中に広がった。
はやる気持ちを抑えながら、冷蔵庫にしまった素焼きのサンプルを取り出した。今度は、高原くるみとグリーンレーズンを一緒に、ゆっくりと噛んだ。
くるみのコクに、レーズンの酸味と甘さが重なり、先ほどの香りが再び広がった。
くるみの焼き上がりには、まだ満足していなかった。それでも、高原くるみのコクと香ばしさをもっと引き出し、レーズンの酸味と甘さを重ねれば、どれほど芳醇な香りが広がるだろう。
このふたつを組み合わせるおいしさには、確かな手応えがあった。
そのとき、いつかこのグリーンレーズンを日本に紹介したいと、トルファンで考えたことを思い出した。
上海、トルファン、そして杭州。
そこで起こった出来事や出会った人々、その折々に抱いた思いが、一本の糸でつながった気がした。

素材の味を生かすために
ロースト方法の改良へ
高原くるみそのものに味をつけなくても、別の食材と組み合わせれば、その持ち味が引き立つ。ナッツとドライフルーツを一緒に食べるおいしさは知っていたが、このふたつがこれほどよく合うとは思っていなかった。
ただ、届いた素焼きのサンプルには、まだ改良の余地があった。焼き方を工夫すれば、高原くるみ本来の香りや食感をもっと引き出せるはずだった。
そこで、ふと思った。
工場のスタッフは、日本の素焼きナッツを食べたことがないのかもしれない。言葉で説明するより、参考となる商品を実際に食べてもらおう。開発担当者なら、加工方法の見当がつくのではないかと期待した。
日を置かず、再び杭州の食品メーカーを訪ねた。
日本で人気のある無添加のミックスナッツと、給湯室に置いてあったグリーンレーズンを持参し、ふたつの素材を組み合わせる案を伝えた。
工場長は、素焼きの高原くるみとグリーンレーズンを慎重に口に入れ、「うん、うん」と何度も頷いた。
その表情を見て、味付けをしない高原くるみのよさが、メーカー側にも伝わったと感じた。
日本から持参したミックスナッツを参考に、ロースト方法を改良してほしいこと。
そして、グリーンレーズンと組み合わせる方針で進めたいので、良質な原料の仕入れ先を確保してほしいことを伝えた。
その夜、メーカーの窓口担当者の実家に招かれ、テーブルからはみ出すほどの料理を囲み、長い時間、歓談した。
仕事の話だけでは分からなかった互いの人柄にも触れ、距離がぐっと近づいたように感じた。

分割パッケージの採用
現地スタッフの奥さんからの提案
高原くるみとグリーンレーズンを組み合わせる方針が決まってから、東京と杭州・臨安を往復する頻度はさらに増えた。多いときには、月に3回も杭州へ向かった。
ある日、現地スタッフと臨安へ向かう途中、彼がおもむろに言った。
「社長、今、中国にはこんなパッケージがありますよ」
ポケットから取り出したのは、15センチ四方ほどの平たい袋に入った、大手食品メーカーのミックスナッツだった。彼は私にその袋を手渡し、開けてみるように促した。
「袋の中は分かれていますが、開けた後、この仕切りを簡単に剥がせます」
中を覗くと、袋は縦にふたつの区画に分かれていた。片方にはナッツ、もう片方にはドライフルーツが入っている。接着された仕切りを剥がすと、中がひとつにつながる仕組みだった。彼は運転しながら続けた。
「昨夜、妻が、今開発しているくるみとレーズンの商品に使えるかもしれない、と言っていたんです」
なるほど。片方に高原くるみ、もう片方にグリーンレーズンを入れておけば、食べる直前まで別々に保管できる。
ふたつの素材を商品にするうえで、気がかりだったのは、同じ袋に入れて長く保管したときの変化だった。
くるみがレーズンの水分を吸うと、カリカリ、サクサクとした歯ごたえが失われる。一方、レーズンは水分を失って硬くなる。せっかくの組み合わせでも、それぞれの持ち味を保てなければ意味がない。
この袋なら、ふたつの素材を食べる直前まで分けておける。それぞれの食感を保つために、ぜひこの分割方式を採用したいと思った。
仕組みに感心するとともに、スタッフの奥さんが私たちの開発を気にかけ、提案してくれたことが何よりもうれしかった。
工場に着くと、メーカーの窓口担当者に、この分割方式を採用したいと伝えた。担当者も関心を示し、工場で対応できることが分かった。
当時、中国ではこうしたパッケージが使われていたが、私は日本で同じ仕組みのナッツ菓子を見たことがなかった。
その後も、さまざまなドライフルーツやレーズンとの組み合わせを試した。しかし、甘さと酸味のバランスは、最初に試したグリーンレーズンが最もよかった。
あとは、高原くるみのロースト方法を確立できれば、商品化に進める。
そんな期待が膨らんだ矢先、新型コロナウイルス感染症が広がり、中国へ渡航できなくなってしまった。

コロナ禍での完成
最初の商品が届くまで
コロナがやって来た。
当初は、数か月辛抱すれば、また中国へ行けるようになるだろうと考えていた。まさか、渡航できない日々が3年以上も続くとは予想していなかった。
開発の速度が落ちることは覚悟していたが、ここまで進めてきた仕事を止めたり、振り出しに戻したりすることは避けたかった。
メーカーの担当者と連絡を取り合い、改良したサンプルを国際郵便のEMSで送ってもらった。試食して感想や要望を返し、ロースト方法の開発を細々と続けていた。
しかし、やがて工場が閉鎖状態となり、頼りにしていた両国間の郵便まで途絶えてしまった。人の行き来だけでなく、物を送ることさえできなくなる。そこまで事態が進んだことに驚いた。
開発は、事実上止まってしまった。
再開したのは、2021年初頭だった。高原くるみの商品化を目指してから、2年以上が経っていた。
そこからは、停滞していた時間を取り戻すかのように、開発が進んだ。試食して伝えた意見が次のサンプルに反映され、ようやく、高原くるみ本来の香りや歯ごたえ、風味を引き出すロースト方法が決まった。
単価の折り合いがつくと、パッケージのデザインにも着手した。
グリーンレーズンの仕様を取り決め、サンプルを確認し、微生物検査を行う。並行して、パッケージの制作や契約書の作成を進めた。
その年の暮れ、分割パッケージに入った最初の商品が届いた。
当時の名前は「高原の胡桃とグリーンレーズン」。
のちに「シルクロード実っくす」となる商品がここに完成した。

「高原くるみ」と名付ける
日本の山くるみと区別するために
当初、このナッツを「杭州の山胡桃」と紹介していた。
しかし、展示会や営業の場では、日本の山くるみ、いわゆるオニグルミと混同されることがあった。名前は似ているが、別の種類のナッツである。説明する側も、聞く側も、どこかすっきりしなかった。
以前、杭州のメーカーが日本の商社や展示会の来場者に紹介した際も、「山胡桃(山核桃)」という名前を使っていたと聞いた。中国での呼び名としては正しいが、日本でそのまま使い続ければ、同じ説明を繰り返すことになるだろう。
そこで、日本の山くるみと区別し、商品として覚えてもらいやすい名前を考えた。
ヒントになったのは、産地である天目山一帯の山々だった。標高500メートルを超える山地に育つこのナッツに、その風景を重ね、「高原くるみ」と名付けた。
シルクロード実っくすの名前の由来
ふたつの産地と絹のつながり
最初の商品名は、「高原の胡桃とグリーンレーズン」。
素材の名前をそのまま並べれば、何が入っているのか伝わると考えていた。
しかし、そもそも高原くるみは、日本ではなじみのないナッツだった。パッケージも含めて少し地味ではないか、という声もあり、もっと印象に残る名前を考えることにした。
そこでひねり出したのが、ふたつの素材の産地と、絹とのつながりだった。
高原くるみの産地である杭州は、古くから絹織物で知られる街。一方、グリーンレーズンの産地、トルファンは、シルクロードの要衝として栄えたオアシスである。
ふたつの産地にちなんで、「シルクロード・ミックス」という名前を考えた。しかし、商標の相談をする中で、そのままの表記では登録が難しいと聞いた。
ちょうどテレビのクイズ番組で「東京ばな奈」の製造に関する出題があり、その字面をヒントに「ミックス」を「実っくす」にした。
こうして、「シルクロード実っくす」という商品名が決まった。
