初めて訪れた中国シルクロードを目指して
話は今から30年以上前、私が初めて中国を旅した頃に遡る。
1991年の早春、私はひとり、大阪南港から鑑真号という客船で上海に渡った。
旅の目的地は中国の西域、シルクロードのトルファンだった。時間に余裕があれば、カシュガルかホータンまで足を伸ばしたいと考えていた。
シルクロードは、幼少期から憧れていた土地だった。当時の私は、お金はなかったが時間はあった。今のようにインターネットが普及していなかったので、バックパッカー向けの雑誌やムック本を読み漁り、あちこちに電話をかけて情報を集めた。
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やがて、鑑真号を使えば、中国まで3万円でおつりがくることが分かった。20万円あればなんとかなるだろうと、旅程を考えた。まだ見ぬ土地に胸を躍らせながらアルバイトに励み、出発の2週間前に、ようやく旅費の目途がついた。
鑑真号に乗船して2日目の夜。同じ雑魚寝の大部屋で知り合った年配の中国人に、
「新疆は危ないよ。核実験が行われているからね」
と言われ、すっかり怖気づいてしまった。
そんな危険を冒してまで行くのか。デマかもしれない。やっぱり無理かな。中国語も全然話せないし……。
両親や、背中を押してくれた先輩たちの顔を思い浮かべ、その夜は何度も寝返りを打った。思い描いていた砂漠のオアシスが、遠くかすんでいくようだった。
旅程は3週間あったが、上陸した上海で数日を過ごし、蘇州を経て洛陽へ向かった。洛陽では風邪をひいたり、龍門石窟に夢中になって日参したりしているうちに、あれよあれよと時間が過ぎた。結局、シルクロードの入口にあたる西安にも行けないまま上海に戻り、そのまま帰国した。
この旅をきっかけに、私はその後30年以上、中国と関わり続けることになった。一方、世間知らずの田舎の大学生だった私には、鮮烈なカルチャーショックと青くさい挫折が、しこりのように記憶に残った。






